運命破りのパラドックスなどの考察物理学の歴史上で論争が盛んだったことがある問題ですね。>さて、そのような意志決定を行うあなたの「コピー」を沢山用意したとする。これが、すなわちあなたのコピーからなるアンサンブルだ。 そういったコピーをどうやって用意するのか、現実問題として同時に用意するのは非常に難しいでしょう。というかできないと普通は考えるでしょう。 時間を異にすれば可能でしょうが。 哲学上の問題で、「運命破りのパラドックス」というものがありますが、それは、運命の記述をその対象者が読んだら、その記述から外れた言動ができる、ということです。 「その解決として、それを読むときに、その記述とその本人の間に干渉が起こって、記述とその本人の予定などが変化すると考えれば、どうですか。不確定性原理が適用されるとして。ちょうどアナログレコードを再生すると針つまり読む方も、レコードの溝つまりその記述も干渉というか摩擦で変化するように」と、大学時代、哲学の先生に答えたことがあるんですが、その先生は考え込んでいました。それでも、その記述と現実の間との関係が理解できなくなってくるし、何度でも読んだらハウリングとか合わせ鏡の映像のようになるし、その記述が絶対に読まれないところに置かれるとしたら、その確かさの検証ができないし、などで、不可知論的な領域にはいってしましそうですね。 現代科学のどこかに欠点があるかもしれないし、非常に難しい問題です。 |